子どもの自然体験×森林管理×支払意思

夜の森林公園で子どもとカブトムシを探す親は、入園料を払う気があるか。あるとして、それは何の対価か。滋賀県大津市の県営春日山公園で2025年7〜8月に保護者26人に聞いた短い論文(短報)が、森林応用研究の2026年9月号に載りました。著者の読みは「遊びの対価だけではなく、学校で自然体験が足りないという不足感などが複合的に作用している」というものでした。相関からの示唆です。
小さな調査です。1つの公園、26人(男性69.2%)、子ども32人(過半数が幼児)。一般化はできません。それでも構造が読みやすいので紹介します。
・保護者26人のうち21人(80.8%)が「子どもは夜の昆虫採集を楽しんでいた」に「全くそう思う」。一方、期待どおりに採れたと答えたのは半数程度で、カブトムシの採集個体数は期待の半分以下
・入園料としていくらまで払うか(支払意思額)は、100円と500円がそれぞれ3割超。0円も約23%
・支払意思額が高いのは「子どもの学校の教育活動で自然体験の機会が少ない」と感じている親。低いのは、昼間の親子採集が多い家庭、子どもが十分楽しめた家庭、「人が多すぎる」と感じた親。いずれも相関で、因果ではありません
支払意思を左右していたのは、体験の中身と不足感でした。では体験の中身を決めているのは何か。著者が2025年11月に歩道を歩いて調べた結果があります。園内のB区域は樹液の出るクヌギの木の密度が高いのに、入口が草で覆われて歩道の位置が分からないほどで、外灯もなかった。木という「緑の状態」は良いのに、そこへ行く「あいだ」が整っていない区域です。著者は、B区域の外灯の新設と草刈りの頻度を上げることを優先的な対策に挙げています。教育的な効果を重視する親は歩道整備を強く求めていた、と要旨にあります(本文の相関は統計的に弱いものです)。
私が持ち帰ったのは2つです。払う意思は、遊びの対価だけでは説明できず、足りないものの代替としても生まれる。だから料金や整備を通す言葉は「楽しい」だけでは足りず、「何が不足しているか」も要る。もう1つは、緑の状態(木の本数)、人と緑のあいだ(歩道と外灯)、人の側の状態(不足感と満足)、の3つを1つの公園で同時に測ると、整備の優先順位が自分で見えてくること。26人の短報でもそれは分かります。
子どもの自然体験の機会が減っている、という前提は、著者が引く国立青少年教育振興機構の意識調査にあります。
🔗 短報(森林応用研究 34(2)・J-STAGE・2026年9月1日公開):https://doi.org/10.20660/applfor.34.2_13
🔗 国立青少年教育振興機構「青少年の体験活動等に関する意識調査」(概要):https://www.niye.go.jp/pdf/r3taikengaiyou.pdf